「原発を始め政府が民意を押しつぶす。国民が権力を与えているからだ。」について

原発を始め政府が民意を押しつぶす。国民が権力を与えているからだ。」について
東京新聞の社説に、「原発と民意 なぜ声は届かない」と批判している。女川原発の再稼働の是非を問う住民投票の直接請求を、本来住民サイドに立つべき宮城県議会が否決した。静岡県、新潟県でも議会で否決されている。不思議な話である。住民の代表が県議会であるはずが否決する。このことの意味することは、県議会議員の中に原発が無くな、もしくは稼働出来ないと困る議員がいるということである。要するに、原子力ムラの息のかかった議員が多数いるということだ。では原子力ムラの影響が地方の議会に及んでいるということは、政府が原発稼働を是としているからだ。それに右習えしているからだ。

もっと始末が悪いのは、立法、行政に独立のはずの司法までが、時の行政の意向に従っているということだ。
関西電力が 原発の使用済み核燃料を再利用する再処理費用を利用者に説明なしに入れていると報道された。青森県六ケ所村に建設中の再処理工場の事業費に加え、具体的な計画がないプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を扱う別の再処理工場の費用も電気料金へ転嫁し始めたことが25日、分かった。九州電力も近く転嫁を始め、他の大手電力も追随する見込みという。関電と九電は転嫁を決めた際、こうした事実や負担額を消費者に説明していない。太陽光発電については、目の敵のように、コストが高いとかいろいろイチャモンをつけて使用を抑制しているが、原発については国家ぐるみで隠ぺいする。原発のお陰で、どれだけ国民がひどい目にあっているかわからない。

沖縄の辺野古基地問題もまさに、時の政府が民意を押しつぶしている。司法までもコントロールしている。戦後政治の中で、これほど民意が無視されたことはない。民主主義の危機が叫ばれて久しいが、正に今がその時だ。野党も敵は野党同士ではなく、自公である。この状態を許しているのは国民が政府に絶対権力を与えているからだ。そのためには権力を削ぐしかない。自党だけが良ければいいという時代ではない。野党が束になって自公と対峙すべきなのだ。

原発と民意 なぜ“声”は届かない
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019033002000166.html
2019年3月30日

 女川原発の再稼働の是非を問う住民投票の直接請求を、宮城県議会が否決した。原発を抱える静岡や新潟県でも「国策になじまない」などとして、議会に退けられている。なぜ“声”が届かない。
 地方自治法の規定では、有権者の五十分の一以上の署名をもって、自治体の長に住民投票条例の制定を請求できる。
 年内にも原子力規制委員会の審査に通るとされる東北電力女川原発2号機。その再稼働の是非を問いたいと、十一万を超える署名が集まった。法定の約三倍だ。それでも県議会は「多様な意思を正しく反映できない」などとして、条例案を否決し請求を退けた。
 女川原発も震災の被害に遭っている。原子炉を停止に導く外部電源や非常用電源にもトラブルが生じ、使えないものが出た。
 原発事故の放射性物質は広い範囲に降り注ぐ。宮城県内でも今現に、水産物の輸出禁止や汚染廃棄物の処理問題など、福島第一原発の影響が続いている。
 女川原発の三十キロ圏内では、七つの市町に二十一万人が暮らしていて、避難計画の策定を国から義務付けられている。過酷事故の大混乱の中、果たしてスムーズに避難などできるのか。住民の多くは避難計画そのものに懐疑的だ。
 それでも再稼働への“事前同意権”を持つのはやはり、原発が立地する女川町と石巻市、そして県に限られそうで、他の五市町には資格がない。それこそ多様な意思を正しく反映できていない。
 危険も義務も不安も不便もそこにある。それなのに、ノーという権利はない-。理不尽と言うしかないではないか。

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